イケメン男性

萩原健一の若い頃がイケメンすぎる!デビューからの画像や死因についても調査

70年代を代表する俳優で歌手の萩原健一さん。

「ショーケン」という愛称で長年に渡り多くのファンに愛されてきました。

今回は、そんな萩原健一さんの若い頃が”イケメンすぎる”ということで、デビューからのイケメン写真を代表作品とともにまとめ、死因についても調査しました!

萩原健一の若い頃がイケメンすぎる

萩原健一さんの若い頃が”イケメンすぎる”ということで、
デビューからの活躍を当時の写真とともに振り返っていきましょう!

1967年16歳:『忘れ得ぬ君』で歌手デビュー!

萩原健一さんは高校在学中に埼玉県大宮市でスカウトされ、ザ・スパイダースの弟分バンド「ザ・テンプターズ」のヴォーカリストとして、

1967年16歳の時に『忘れ得ぬ君』で歌手デビューを果たしました!

また、翌1968年には『エメラルドの伝説』『神様お願い!』『おかあさん』など、次々と大ヒット曲を飛ばして人気を博しました。

左と真ん中のジャケット写真はセンターに、右のジャケット写真には左下に映っています!

爽やかな好青年という印象が強く、一際目立っていますね!

10代特有の初々しさはありますが、それでもかなりのイケメンです。

学生時代はかなりモテモテだったのではないでしょうか…?

1970年18歳:日本のスーパーグループ「PYG」を結成

テンプターズ解散後の1970年には、井上堯之・大野克夫・沢田研二・岸部一徳・大口広司らでPYG(ピッグ)を結成しました。

小顔で足もスラっとしており、とってもカッコいいですね♩

当時PYGは沢田研二さん・萩原健一さんのツインボーカルを擁したロックサウンドを特徴とし、フェスやテレビ出演したりと徐々に人気を集めていきました。

しかし、メンバーのソロ活動や俳優活動などが重なり、結果的に1972年12月をもって音楽活動を停止とし、事実上の解散となりました。

萩原健一さんに関しては、1972年に製作された松竹映画『約束』へ出演予定だった主演俳優・中山仁が降板したため代役に抜擢され、

その演技力が高く評価されたことで本格的に俳優へと転身したようです。

1972年20歳:刑事ドラマ『太陽にほえろ!』

1972年7月21日〜1986年11月14日まで全718回放送された刑事ドラマ『太陽にほえろ!』では、初代新人刑事・早見淳」ことマカロニ役でその人気を決定付けました。

長髪にノーネクタイ、当時流行の三つ揃いで身を固めた風貌に銃を提げた姿がマカロニ・ウェスタン風と島にからかわれ、そのままニックネームになったようです。

ハタチとは思えぬほど色っぽく、長髪がまたいい味を出していますね!

本当にイケメンすぎます…

1974年22歳:映画『青春の蹉跌』

1974年22歳の時には、神代辰巳さんとのコンビ映画『青春の蹉跌』でキネマ旬報の最優秀主演男優賞を受賞しました。

左から順に檀ふみさん、桃井かおりさん、神代辰巳監督と萩原健一さんです。

横顔まで美しく、たばこが最高に似合っていますね!

そして本当に大人っぽいですね!

落ち着いた雰囲気と色気には、多くの女性ファンが魅了されていたことでしょう。

また、この年萩原健一さんはドラマ『傷だらけの天使』や倉本聰脚本の『前略おふくろ様』と連続してドラマ作品に主演したりと人気絶頂期でした。

『傷だらけの天使』

『前略おふくろ様』

映画『前略おふくろ様』ではこれまでのイメージとは一転し、板前修業をする母親思いの心優しき青年を演じてみせました。

さらに、1975年23歳の時には初のソロアルバム『惚れた』をリリースしています!

いい意味で渋さがあってイケメンすぎます…

このかっこよさは来世にまで語り継がれそうですね♩

1982年32歳:映画『誘拐報道』

1982年公開映画『誘拐報道』にて誘拐犯「古屋数男」役を演じた萩原健一さんは、その演技力が高く評価され、第6回日本アカデミー賞・優秀主演男優賞を受賞しました。

本作は1980年1月に兵庫県宝塚市で発生した幼児誘拐事件を素材に、幼い生命の救出をめぐって報道陣・警察・被害者家族たちが事件の渦中で傷つきながら努力する姿を

サスペンスフルに描いたもので、後のさまざまな事件映画に影響を与えた作品とも評されています。

30代の萩原健一さんは、より一層色気が増していますね!

1994年44歳:映画『居酒屋ゆうれい』

44歳と時に出演した1994年公開映画『居酒屋ゆうれい』は、萩原健一さん・山口智子さん・室井滋さんを迎え居酒屋を舞台に繰り広げられる、

幽霊と飲み屋のご主人(主人公)と後妻の一風変わった三角関係を描いた喜劇映画です。

萩原健一さんはこの作品でも演技力が認められ、”報知映画賞・高崎映画祭主演男優賞”を受賞しています!

イケメンという最強の武器に加え、演技力までも高いとなると欠点が見つからないといっても過言ではないですね。

2002年52歳:大河ドラマ『利家とまつ』

2002年1月6日〜12月15日にかけて放送された第41作目のNHK大河ドラマ『利家とまつ』では、「明智光秀」役で出演しました。

これまで刑事役や犯罪者役など幅広い役を演じてきましたが、時代劇もしっくりきますね!

2019年69歳(遺作)
大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』

最後にご紹介するのは、萩原健一さんの遺作となった2019年1月6日〜12月15日放送のNHK大河ドラマ第58作『いだてん~東京オリムピック噺~』です。

本作は明治から昭和30年代の近現代を舞台に、前半は「オリンピックに初参加した男」の金栗四三、後半は「オリンピックを呼んだ男」の田畑政治を主人公とした物語で、

脚本家・宮藤官九郎さんのオリジナル作品として話題を集めました!

第25回から登場する「高橋是清」役で出演予定の萩原健一さんが急逝したことで放送出来るか心配の声も挙がっていたようですが、

主な出演シーンは収録を終えていたため、予定通り放送されました。

萩原健一の死因は「消化管間質腫瘍」

「ショーケン」の愛称で親しまれた歌手・俳優の萩原健一さんは、

2019年3月26日午前、消化管間質腫瘍(しゅよう)のため東京都内の病院で68歳という若さで死去しました。

所属事務所によると、萩原健一さんは2011年から悪性腫瘍の一種である”消化管間質腫瘍”で闘病していたそうなのですが、容体が急変したそうです。

GIST(消化管間質腫瘍)とは?

消化管の壁にできる悪性腫瘍の一種(肉腫)で、粘膜の下に腫瘤状の病変を形成し、粘膜から発生する胃がんや大腸がんとは異なる性質を示します。 GIST(消化管間質腫瘍)の発生部位は胃や小腸が多く、大腸、食道はまれで「間質」という組織にできるのが一般的です。

この病気の発症率は10万人に1~2人と少ないため、「稀少がん」と呼ばれています。

発症部位は胃が約70%、小腸が約20%、大腸が5%程度で、日本では年間1000~2000人の罹患者がおり、高齢者ほど罹患しやすく60~70代の発症者が多い病気だそう。

さらにGISTは自覚症状に乏しく、患者が異変に気づきにくいことも萩原健一さんの死に繋がったのではないかと言われています。

この日まで明かされなかったのには本人の強い希望があったからだそうで、葬儀は親族だけで営まれました。

辛い状況の中で周囲に悟られないよう撮影を続けていたのでしょう。

粘り強い根性と仕事に対する思いが素晴らしいですよね。

まとめ

今回は萩原健一さんの若い頃から遺作までをイケメン写真とともにまとめました。

10代から歌手・俳優として多才に活躍していた萩原健一さんは、噂通りかなりのイケメンでしたね!

歳を重ねるたびにその魅力が増し、特に70年代が1番イケていた気がします♩

約53年という長い役者人生に幕を閉じた萩原健一さんは、
最後の最後までかっこよかったですね。