イケメン男性

渡瀬恒彦の若い頃がイケメンすぎる!俳優デビューから画像を調査

ドラマや映画などさまざまな作品に出演し、
人情味あふれる刑事役で人気を博した渡瀬恒彦さん。

今回はそんな渡瀬恒彦さんの若い頃がイケメンすぎるということで、デビューから亡くなる直前までの活躍を当時の写真とともに振り返っていきたいと思います!

渡瀬恒彦の若い頃がイケメンすぎる

渡瀬恒彦さんの若い頃が”イケメンすぎる”ということで、
デビューからの活躍を当時の写真とともに振り返っていきましょう!

1970年26歳:映画『殺し屋人別帳』で俳優デビュー

1970年1月31日、石井輝男監督の映画『殺し屋人別帳』にて
主役で俳優デビューを果たしました。

当時26歳ということですが、すでに渋さも兼ね備えておりイケメンすぎますね!!

渡瀬恒彦さんのデビューは、
外部から迎えた若手タレントの東映主役デビューは大川橋蔵以来と言われたそうです。

さらに、ひと足さきに芸能界デビューを果たし日活のスターになっていた兄・渡哲也さんへのライバル芯は剥き出しで、マスコミを集めてのデモンストレーションでは

兄貴には小さい頃から勉強でも喧嘩でも負けた事がない。
今やっても負けませんよ。

とコメントされています。

家族でありながらライバル心を燃やすその生き様までカッコイイですよね!

1973年29歳:映画『鉄砲玉の美学』

1973年公開映画『鉄砲玉の美学』は、渡瀬湯音彦さん主演のヤクザ映画です。

すっかり役に染まり、本物のヤクザのような気迫ですね。

この作品は当時「1000万円映画」とも呼ばれた低予算の中で作られた映画で、宿はタイアップした都城市の旅館の大部屋でスタッフ・キャストの区別なく大部屋でゴロ寝だったそう。

さらに、当初渡瀬恒彦さんはギャラが払えぬと監督の中島貞夫が出演を諦めるよう説得していたそうですが、「ギャラなんかどうでもいいから俺にやらせて」と猛烈に売り込み、

最終的には、愛車・フェアレディZを撮影用に提供するという条件で20万円で出演したとか。

1978年34歳:映画『事件』

渡瀬恒彦さんにとって人生の大きな転機となった映画『事件』では、
ブルーリボン賞・日本アカデミー賞・キネマ旬報等助演男優賞を受賞しています。

本作では、やくざらしき男で事件の被害者ハツ子のヒモ「宮内辰造」を演じました。

役によって別人に見えるほど表情の作り方がすごいですよね…

イケイケだった頃とはまた違う魅力があってかっこいいです♩

1983年39歳:大河ドラマ『おしん』

1983年4月〜1984年3月まで放送された連続テレビ小説『おしん』では、平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%を記録した朝ドラの最高傑作とされる作品です。

渡瀬恒彦さんはおしんの1918年米騒動当時、山形県酒田時代の初恋の相手でありながら、おしんの仕えた「おかよ様」との間で三角関係に置かれる「並木浩太」役を演じました。

当時39歳ということですが、まだまだ若々しさを感じますね!

1992年48歳:ドラマ『十津川警部シリーズ』

1992年から2015年までTBS系で放送された刑事ドラマシリーズ『十津川警部』は、渡瀬恒彦さんの代表作であり、テレビドラマへの出演が増えるきっかけとなった作品です。

歳を重ねるたびに魅力が増しており、the・イケオジという感じですね♩

渡瀬恒彦さんは現場で演出を仕切ることもあり、台本にも積極的に口を出していたそう。

そして、兄・渡哲也さんの遺作ドラマともなった2013年9月9日放送の『十津川警部シリーズ50 消えたタンカー』では、兄弟の共演が実現しています!

2002年58歳:ドラマ『おみやさんシリーズ』

2002年より放送が始まった刑事ドラマシリーズ『おみやさん』では、
京都府警刑事部捜査一課の「鳥居勘三郎」役を演じました。

すっかり刑事役が板につき、精悍な顔つきは頼もしさを感じますね!

60歳を目前に控えてもなおイケメンです♩

渡瀬恒彦さんはのちに『十津川警部』と比較して、

『十津川は相手の反応は関係なく、直球を投げる。おみやさんは相手とのやりとりの中でカーブを投げられるんですね、優しいんだと思います』

と人気の秘密を語っていました。

2006年62歳:ドラマ『警視庁捜査一課9係』

2006年4月19日〜2017年6月7日まで12年間に渡り放送された大人気刑事ドラマシリーズ『警視庁捜査一課9係』は、season12第1話まで渡瀬恒彦さんが主演を務めました。

本作は捜査一課9係の係長・加納倫太郎(演:渡瀬恒彦)を筆頭に、6人の刑事たちがさまざまな難事件を解決していく物語となっています。

本当にかっこいいですよね…

渡瀬恒彦さんはseason10終了後の2015年夏に胆嚢癌が見つかり余命1年の宣告を受けていたのですが、翌2016年のseason11を見事に演じきりました。

さらに、入院中もseason12の台本を手放すことなくすでに台詞を覚え撮影に向けて準備を進めていた矢先に容態が急変し、帰らぬ人となったのです。

役者魂が素晴らしいですよね。

2017年72歳:遺作『そして誰もいなくなった』

最後にご紹介するのは、
渡瀬恒彦さんの遺作となったドラマ『そして誰もいなくなった』です。

本作は渡瀬恒彦さんはなくなるギリギリの2017年2月12日まで続いたそうで、クランクインでは

「皆さんご存知だと思いますが、私は癌です。それでもこの役を全うしたい」

と挨拶したといいます。

そして、撮影の際には風邪が蔓延しないように全員がマスクを着用し、照明のセッティング待ちがないように照明なしのカメラを用意。

また、出来るだけロケの回数を抑えるために、
藤本プロデューサーは監督の和泉聖治へ工夫するよう指示したそうです。

移動は車椅子、撮影の合間には酸素吸入器の管を鼻から挿入して命を削って容態が急変する前まで撮影を終わらせたといいます…

おそらく想像を絶するほど辛い撮影になったと思いますが、
渡瀬恒彦さん自身はそんなそぶりを一切見せることなくやり切ったそうです。

放送後、渡瀬恒彦さん演じる「元東京地裁裁判長・磐村兵庫」が

「末期の肺がんだ。余命いくばくもない」

と告白すると、虚構と現実がひとつになった役柄にSNS上でも大反響が起きました。

渡瀬恒彦の死因は多臓器不全

2017年3月14日、細菌が血液を通じて全身を巡り容態が急変し、23時18分に”胆嚢がんによる多臓器不全”のため東京都内の病院で亡くなった渡瀬恒彦さん。

72歳でした。

2日後には所属事務所からFAXで死去を発表し、「最期まで幸せな俳優人生を全うできましたことを心より感謝申し上げます」とコメントしました。

そして、実の兄弟であり良きライバルとしてともに切磋琢磨してきた渡哲也さんは、
このように心境を綴っています。

当初よりステージIV、余命1年の告知を受けておりましたので今日の日が来る覚悟はしておりましたものの、弟を失いましたこの喪失感は何とも言葉になりません。

幼少期より今日に到るまでの二人の生い立ちや、同じ俳優として過ごした日々が思い返され、その情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです

17日には生前派手なことを嫌った本人と家族との希望により家族葬が営まれ、

葬儀には家族の他に渡夫妻、親しい俳優仲間である片桐竜次、不破万作、中西良太、木村栄、成瀬正孝ら約30人が参列したといいます。

まとめ

今回は、渡瀬恒彦さんの若い頃からの活躍を代表作品とともに紹介しました。

顔がイケメンというのもそうですが、生き様までカッコよかったですね…!

最後の最後まで役者人生に命をかけた渡瀬恒彦さんの作品は、今度も良き作品として語り継がれていくことでしょう。