端正な顔立ちと鼻にかかった甘い声で独特の存在感を放ち、東映の看板女優として活躍していた大原麗子さん。
今回は、そんな大原麗子さんの若い頃が”可愛すぎる”ということで、代表作品とともに当時の姿を振り返っていきたいと思います!
大原麗子の若い頃が可愛すぎる!
大原麗子さんの若い頃が可愛すぎるということで、
デビューからの活躍を当時の写真とともに振り返っていきましょう!
1964年18歳:ドラマ『幸福試験』
1964年、テレビドラマ『幸福試験』の出演にて女優デビューを果たした大原麗子さん。
実は以前から中尾ミエ主演の東宝映画『夢で逢いましょ』などに端役で出演していたそうなのですが、本格的にデビューしたのは1964年でした。
当時の大原麗子さんの写真がこちら!

顔のパーツ1つ1つが整っており、とっても可愛いですよね♩
まだ18歳なので若干の幼さは残っていますが、
こんなに美しいと学校でもかなりモテモテだったのではないでしょうか!
1965年19歳:映画『孤独の賭け』
大原麗子さんは、1965年公開の佐久間良子主演の映画『孤独の賭け』で初めて本格的な映画に出演しました。
戦後急速に発展を遂げていく1960年代初頭の東京を舞台に、政財界を舞台に繰り広げられる愛憎劇となっており、無鉄砲で傍若無人な「乾美香」役を演じました。

左下に立っているのが大原麗子さんです。
スタイルも良く横顔まで美しいですね…!!
この年大原麗子さんは東映へ入社しているのですが、同時期入社の城野ゆきさんと共に東映東京の一押し新人女優として売り出されていたようです。
1969年23歳:ドラマ『ごちそうさん』
1969年10月7日〜同年12月30日まで放送されたドラマ『ごちそうさん』は、
大原麗子さんが初めて連続ドラマで主演を務めた作品です。
大阪の北浜を舞台に、大原麗子さん演じる「古谷マキ」の成長のプロセスと北浜の人々の人間模様などを絡めてコメディータッチで描いた物語となっています。

左から順に松山容子さん、大原麗子さん、浪花千栄子さんです。
もちろん全員お綺麗ですが大原麗子さんは頭ひとつ抜ける可愛さですね。
20代に突入してからは、大人の色気が増してきている気がします!
1974年28歳:火曜劇場『愛の山河』

1974年7月2日〜同年9月24日まで放送された火曜劇場『愛の山河』では、裏切られ、傷ついてもその一人の男性を愛し続けるひた向きな女性「立川南美江」役を演じました。

とってもお綺麗ですね…!
今でも若い頃が可愛いと語り継がれるのも納得のビジュアルです♩
1978年32歳『男はつらいよシリーズ 』
渥美清主演の大人気シリーズ映画『男はつらいよ』ではマドンナ役を2度務め、
その美しさが話題となりました。


30代とは思えぬほど若々しく、シワ1つ見当たりません。
どのようにして美しさを保っていたのか気になるほどの美貌ですね…
この頃の大原麗子さんは「しっとりとした日本的美人像」という印象が根付いていたのですが、まさにイメージ通りですね。
1984年38歳:映画『おはん』
大原麗子さんの代表作品の1つである1984年10月6日公開映画『おはん』。

生活力の乏しい中年男が一度別れた妻と芸者との間で揺れ動くさまを
親子の情愛を絡めて描いた作品となっています。
大原麗子さんは「おかよ」という1つの女性の中で魔性の女などさまざまな役を演じ分け、独特の存在感を発揮しました。
1989年43歳:大河ドラマ『春日局』
先ほど紹介した映画『おはん』での演技力を買われて主演した橋田壽賀子脚本の『春日局』では、大河ドラマ歴代3位となる平均視聴率32.4%を叩きだしました。
本作は明智光秀の重臣斎藤利三の娘というつらい境遇にありながら戦国を生き抜き、その力量を徳川家康に見込まれ、
のちの3代将軍徳川家光の乳母となって大奥を取り仕切った春日局(演:大原麗子)の生涯を描いた作品です。


40代とは思えぬほど若々しく、可愛さと美しさを兼ね備えていますね。
本作は大原麗子さんにとって大河ドラマ出演5回目となります!
2004年58歳: 十津川警部シリーズ
『東北新幹線「はやて」殺人事件 』
最後にご紹介するのは、大原麗子さんの遺作となった十津川警部シリーズ『東北新幹線「はやて」殺人事件 』です。

大原麗子さんは事件の鍵を握る重要参考人で十津川に恨みを持つ女・「藤川志津江 役」としてゲスト出演し、元夫である渡瀬恒彦さんと最後の共演となりました。
当時58歳ということですが、最後まで綺麗でしたね。
死因は不整脈による脳内出血

2009年8月6日、2週間前から連絡が取れず不審に思って警察に通報していた実弟らによって自宅で死亡しているのが発見されました。
62歳という若さでした…。
その後の行政解剖の結果では死亡推定日時は同年8月3日と判明し、死因は不整脈による脳内出血であると診断が下ります。
当時は大原麗子さんの訃報に自宅前50人以上の報道陣が集結したそうで、周辺には立ち入り禁止の黄色いテープが張られ、
警察官が「指紋をとるので、下がってください」と記者やカメラマンを自宅から遠ざけるなど、騒然とした雰囲気だったそうです。
大原麗子さんは1999年ごろからギラン・バレー症候群を発症し芸能活動を休止し、2008年11月には自宅で転倒して右手首骨折などの重傷を負うなど、
何度も活動休止を余儀なくされていました。
よって大原麗子さんは次第に精神的に参ってしまい、仕事関係者や友人に悪態をつくようになり、周囲から遠ざけられていきました。
その結果、孤独死となってしまったようです…
悲しい最後になってしまったようですが、葬儀には、森光子・石井ふく子・浅丘ルリ子らが発起人となり、元夫である渡瀬恒彦や森進一のほか、
八千草薫・池内淳子・徳光和夫・加藤和也・らが参列し、最後のお別れをしたようです。
まとめ
今回は大原麗子さんの若い頃からの活躍を当時の可愛い写真とともにまとめてみました。
若い頃はもちろんですが、歳を重ねても美しさは健在だったようですね♩
病気や怪我、精神的なダメージが続き孤独死を遂げた大原麗子さんでしたが、葬儀に参列した人の数を見ると多くの人々に愛されていたことは明白ですね。
これからも大原麗子さんの活躍やその美しさは、将来語り継がれていくことでしょう!