イケメン男性

渡哲也の若い頃がイケメンすぎ!デビュー前からの画像や死因を調査

俳優として、社長として石原軍団を支え続けた渡哲也さん。

『大都会』や『西部警察』シリーズなどで人気を博し、さまざまな作品で活躍しましたね。

今回は、そんな渡哲也さんの若い頃が”イケメンすぎる”ということで、
有名な代表作を当時の写真とともにご紹介します!

渡哲也の若い頃がイケメンすぎ

渡哲也さんの若い頃が”イケメンすぎる”ということで、
若い頃から現在までの活躍を当時の写真とともに振り返っていきましょう!

1965年24歳:『あばれ騎士道』で宍戸錠とW主演!

渡哲也さんはもともと日本航空の整備士社員を目指していたのですが、試験で不合格となりそのタイミングで友人から

「撮影所に行けば、石原裕次郎に会えるかも知れない」

と言われ、出向いていた日活撮影所の食堂で偶然スカウトを受けて1964年に日活へ入社しました。

そして、高橋英樹さんに続くスター候補としてデビュー前の記者会見で破格の扱いを受け、「“映画界待望久し!日活に驚異の新星!渡哲也!!”」の横断幕で大々的に売り出されます。

実際の横断幕がこちら!

日活が期待するのも納得のイケメンぶりですね♩

こうした日活の後押しもあって、1965年3月公開映画『あばれ騎士道』で宍戸錠さんとのW主演でデビューを果たし、この作品で”エランドール賞新人賞”を受賞しました!

さらに、2作目となる映画『青春の裁き』で単独主演に抜擢され、
好調な俳優人生をスタートさせたのでした。

1968年27歳:『無頼』シリーズで日活のスターへ。

知名度を上げるきっかけとなった舛田利雄監督による『無頼より・大幹部』から始まる
『無頼』シリーズ6作品。

渡哲也さんが得意とする空手を活かしたアクションと鍛え上げた肉体を披露し、
さらなる人気を獲得しました!

この頃には”日活のスター”と呼ばれるようになっていた渡哲也さんは、『新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ』『関東流れ者』などの作品で、

最後まで”日活ニュー・アクション”と呼ばれた映画で輝きを放ったのでした。

その後の渡哲也さんは1971年に日活を退社してフリーに転身し、敬愛する日活の大先輩・石原裕次郎さんが興した石原プロモーションの門戸を叩き、

後に「石原裕次郎2世」と呼ばれるまで登り詰めたのです。

1976年35歳:ドラマ『大都会』シリーズ

渡哲也さん主演の大都会シリーズ第1作『大都会 -闘いの日々-』は、

石原プロ製作のテレビドラマ第1作で、NHKの大河ドラマ『勝海舟』を病気で降板した渡哲也さんの本格復帰第1作目でもあります。

プロデューサー・石野憲助さんによれば、裕次郎さんと倉本さんの思いやりに応えようと、当時渡哲也さんが番組にかける意気込みは凄まじく、

特に撮影前や撮影中の体づくり、体調管理に余念がなかったといいます。

撮影直前まで渡さんの治療は続いており、薬の副作用でなかなか“むくみ”が取れなかった。そこで渡さんは体を絞るため毎日サウナに通った。

石野さんも何回かお付き合いされたそうだが、5分ぐらいで音を上げて出てしまう自分をよそに、渡さんは20~30分経っても出て来ない。

ようやく出て来たと思えば、軽く水を被ってまたサウナに……それを5、6回繰り返す姿を見て石野さんは「とても自分にはマネできない」と思ったそうだ。

引用元:文春オンライン

撮影中では咳き込むことも多かったそうですが、いざカメラが回ると顔の赤味が消えて全く咳もしなくなったそうで、これまで数多くの名優たちを見てきた石野憲助さんですら

「これが真の役者魂というものか」

と、その神髄に触れた思いがしたのだとか。

このエピソードからは、渡哲也さんのプロ意識の高さを感じますね。

1989年48歳:ドラマ『ゴリラ・警視庁捜査第8班』

渡哲也さん主演のドラマ『ゴリラ・警視庁捜査第8班』は、石原プロモーション制作の刑事・アクションドラマで第一企画創立40周年記念作品です!

舘ひろしさん、神田正輝さんほか石原軍団が勢ぞろいした人気作品の1つですね♩

名だたる俳優ばかりですが、
それに劣らず50歳を目前にしたとは思えぬほどのイケメンですね!

1997年56歳:映画『誘拐』

1997年6月7日公開映画『誘拐』で主演を務めた渡哲也さん。

当時話題となったのが「3億円の身代金と身代金受け渡しのテレビ中継」のモブシーン。

このシーンは東京都内の繁華街で俳優・スタッフが大挙走り回りながら撮影するという、大規模ロケとなったようです!

本作で渡哲也さんは日刊スポーツ映画大賞・男優主演賞を受賞しており、
代表作の1つとして歴史に残りました。

2004年62歳:映画『レディー・ジョーカー』

最後に紹介する代表作は、日活が撮影所創業50周年を期して石原プロモーションの特別協力を得て制作した映画『レディー・ジョーカー』です。

物語は業界最大手の日之出ビール社長・城山恭介が”レディ・ジョーカー”と名乗る5人の犯行グループによって誘拐されるところから始まり、

渡哲也さんは薬局の店主でありレディ・ジョーカーの主犯・物井清三を演じました!

若い頃演じていたアクションシーンも最高でしたが、どこか読めない人物を演じる渡哲也さんも魅力的ですね。

渡哲也の死因は肺炎

2020年8月10日午後6時30分、肺炎のためこの世を去った渡哲也さん。

78歳でした。

渡哲也さんは前日9日に自宅から都内病院に救急搬送され緊急入院した際、医師には長くても2週間と告げられていましたが、翌日妻俊子さんに見守られて息を引き取りました。

ネット上では新型コロナウイルスが関係しているのではないかと噂になりましたが、
関係者によるとそれは関係ないとのこと。

また、渡哲也さんは妻・俊子さんに対し

「自分の訃報は、葬儀などすべてが終わるまで誰にも知らせるな」

という趣旨の「遺言」を残していたため、舘ひろしさんや神田正輝さんら石原軍団所属俳優にも最期を知らせず、1人で旅立ったといいます。

そんな渡哲也さんの最後の仕事は、宝酒造「松竹梅」CMのナレーション収録でした。

同CMは生前の裕次郎さんとのCM初共演作だったのですが、コロナ禍で撮影日程が延び、体調も思わしくなくスタジオに赴き撮影することはできなかったようです。

渡哲也さんの突然の訃報、そして知らされて時にはすでに葬儀が済んでいたということで驚いた方は多かったことでしょう。

ネット上でも多くのファンがお別れの言葉を書き込んでいました。

渡哲也さんは最後の最後まで男らしくかっこよかったですね。

まとめ

今回は、渡哲也さんの若い頃の写真を代表作品とともにまとめてみました。

長い間石原軍団を支え、
数々の名作を生み出してきた渡哲也さんの若い頃のイケメンぶりは噂通りでしたね!

56年という長い俳優人生に幕を閉じてしまいましたが、今後も渡哲也さんが生み出した名作は語り継がれていくことでしょう。