かつて”歌謡ロックの第一人者”として活躍したアン・ルイスさん。
多くのヒット曲を世に解き放ち、音楽界に大きな影響を与えました。
今回は、そんなアン・ルイスさんの現在の様子や若い頃の可愛い写真を代表曲とともに時系列でお届けします!
アン・ルイスの現在は?
2013年に芸能界を引退したアン・ルイスさんですが、現在はロサンゼルスでアクセサリーやショップのデザイナーの仕事をしながら暮らしているようです。
また、日本へは息子・美勇士さんに会うためにたびたび帰ってきているようで、美勇士さんが行っているライブ配信に電話出演しているとの情報がありました!
一時期ネット上では「死亡説」が囁かれていましたが、そのような事実はありませんし、芸能界引退後はパニック障害の症状も落ち着いてきているとされています。
残念ながら67歳現在のアン・ルイスさんの写真を見つけることはできなかったのですが、きっと年を重ねても綺麗なままなのでしょうね。
もうテレビで見ることがないと思うと少々寂しいですが、体を第一にロサンゼルスでの生活を充実させ、幸せに暮らしてほしいですね!
アン・ルイスの若い頃が可愛すぎる
アン・ルイスさんのデビューから現在までを、当時の写真とともに振り返っていきます。
1971年15歳:シングル『白い週末』でデビュー!
幼い頃からスバ抜けた可愛さを持ち合わせ、3,4歳の頃から雑誌モデルやフィルム会社のCMに起用されていたアン・ルイスさん。
1970年14歳のときに横浜外国人墓地を散歩中になかにし礼にスカウトされ、「なかにし礼商会」第一号タレントとなります。
そして、翌年1971年2月25日にはビクターレコードよりシングル「白い週末」で歌手デビューを果たすと、その美しさと高い歌唱力で人気を博しました!
デビュー当時のアン・ルイスさんがこちら↓
10代とは思えぬほど大人っぽく、とっても可愛いですよね♩
1974年18歳:シングル『グッド・バイ・マイ・ラブ』
当初はグラビアアイドルやアイドル歌謡を中心に活動する中、1974年に「グッド・バイ・マイ・ラブ」が公称50万枚の大ヒットを記録しました!
本当に笑顔が可愛いですね…!
後に歌謡ロックの第一人者として活躍したアン・ルイスさんでしたが、その後は歌手としてはパッとせず…
70年代後半は当時の所属事務所の後輩であるキャンディーズの「やさしい悪魔」のステージ衣装のデザインや、山口百恵さんの衣装デザインを手掛けていたといいます。
【やさしい悪魔のステージ衣装】
1984年28歳:シングル『六本木心中』
桑名正博さんとの離婚を発表した1984年、24枚目のシングルとして10月5日にリリースした『六本木心中』が大ヒットとなりました。
この曲は80年代のバブル期を象徴する歌として今でもカラオケなどで歌い継がれており、アン・ルイスさんに「ロックの女王」というイメージが定着したきっかけの歌です。
しかし、「ロックの女王」として迫力あるパフォーマンスで人気を集めれば集めるほど「ド派手さ」が彼女のキャッチフレーズとなり、
プレッシャーとして重くのしかかったことで”パニック障害”を発症。
これによりアン・ルイスさんは90年代後半から一時芸能活動を休止し、米ロサンゼルス移住から6年後の2002年12月22日に記者会見を開き、
この時初めてをパニック障害によるものだったと告白したのでした。
会見当日は「マイクが怖いので囲まれたくない」との希望によりテレビは個別収録となり、
「緊張や心配の度合いが強くなると、まず体が熱くなってきて、首の後ろあたりがむずむずしてくるの。
そのうちに動脈が縮まって血の巡りが悪くなって、ふ~と倒れそうになって。
で、ここで失神したらどうしようとか、悪いほうに悪いほうに考えていくと、何かが押し寄せてきて、わけが分からなくなってしまって」
引用元:Asagei plus
と当時の心境を明かしていました。
大ヒットしたことが、逆にアン・ルイスさんを苦しめてしまったようですね…
2005年49歳:アルバム『REBIRTH』
活動を再開した2005年、アルバム『REBIRTH』をリリースしました。
当時49歳とのことですが、全く衰えを感じさせませんね!
活動再開後はバラエティ番組に出演するようになり、当時患ったパニック障害のことや元夫の桑名正博さんや長男の美勇士さんらの話をそれぞれコメントしています。
2013年57歳:芸能界引退
2013年4月6日、桑名正博さんと息子の美勇士さんの親子3人共演CDを同年10月に発売すると同時に、芸能界から引退することを発表しました。
引退理由としては、1995年に発症したパニック障害の影響が大きいと見られています。